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2023-05-11
吉田城は今川、武田、松平などの武将による激しい争奪戦が繰り広げられた城です。
1560年には松平(徳川)家康がこの城を攻略し、後に徳川四天王の一人と呼ばれる酒井忠次を城主に置きました。
1590年に池田輝政が城主になると、城の拡張工事や城下町の整備、吉田大橋の架け替をするなど吉田城の基礎を造りました。
市役所(吉田城跡に建つ)13階展望ロビーより豊川(とよがわ)に架かる豊橋(とよばし)を 望む。手前は現在の吉田大橋です。
江戸時代には、現在の豊橋(とよばし)付近に酒井忠次が架けたと言われる吉田大橋がありました。浮世絵(歌川広重)と照らし合わせると興味深いですね。
豊川は城の北側を流れ天然のお堀となっています。
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1560年~1600年に池田輝政が築いたとされる石垣。安土桃山時代の野面積(のずらずみ)の石垣としては全国でも最大級であり吉田城最古でもあります。
天下普請(幕府の命で複数の大名が城を築くこと)の城ではないのに刻印石がみられます。名古屋城の残石を利用したのではとの説あり。
本丸御殿があったとされる辺りから鉄櫓(くろがねやぐら)を望む。 この上に千貫櫓が建っていました。
北多聞跡、升形の虎口が確認できます。
空堀あと。
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ほの国、豊橋。古代東三河地区に存在した「穂の国」に由来するといわれています。
吉田城の往復に路面電車に乗りました。子供だった頃を思い出してしまいました。
路面電車は富山市、熊本市など全国で17路線が運行しています。
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二川宿は、お江戸日本橋から33番目の宿場です。
特に二川宿本陣は、江戸時代の姿を忠実に復元され大変貴重な遺構です。
東海道筋では、滋賀県草津市の草津宿本陣とここだけに現存します。
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本陣とは、江戸時代に公家、大名、幕府役人などが宿泊や休憩をした施設。
上段の間、たたみがいっぱい。
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旅籠屋「清明屋{せいめいや}」.は平成14年の改修工事により江戸時代末期の姿に復元されました。
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