高年大学鯱城学園

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史跡散策Historic Site Walk

第2回校外学習 岐阜城・川原町ふるいまちなみ散策

2023-05-25

 岐阜城、もとは稲葉山城と言い、本格的に整備されたのは斎藤道三の頃だと考えられている。織田信長が1560年の稲葉山城の戦いにより、斎藤龍興から奪取し本拠地を小牧山城から当城へと移し、新たに造営したのが岐阜城である。
 天下統一を行うという意味をこめて井ノ口から岐阜へと改名。中国の故事に由来すると言われる。
 JR岐阜駅北口にたつ信長の黄金像。時代劇の影響でこのようなイメージをする人が多い。
 マントに南蛮胴の信長(岐阜城内展示)。実際は標準的な甲冑を用いていたそうだ。
 岐阜公園入口にある「若き日の信長像」と題した銅像。「長崎平和祈念像」の作者として知られる北村西望(きたむらせいぼう)の作。

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 ロープウエイ乗降口から岐阜城への道すがら、ガイドさんの説明を受けながら史跡を巡る。

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 木瓜紋(もっこうもん)。織田家の代表的な家紋。織田家繁栄を支えた津島湊と強い結びつきがある津島神社の神紋と同じ。織田家は津島神社を厚く尊崇していたのが良く分かる。
 斎藤道三の家紋。二頭波紋(ふたがしらなみもん)。変幻自在の水または波を表し、水は器に入れればその器の形に従って自由自在に形を変化させる。兵法に通ずるとのこと。
 出土金箔飾り瓦(レプリカ)。信長居館跡から出土。これまでは、安土城が初見と考えられていたが、岐阜城であることが確認された意義は大きいという。

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 岐阜城は、現在築城されている城郭の内では有数の高さ(329m)があり、山そのものが天然の要害として機能していた。最上階からの眺めは、まさに大パノラマ。
 最初の写真に注目。長良川に架かる鵜飼大橋で、白い主塔を鵜匠に、ケーブルを手綱に、橋桁を鵜船に見立てた造りになっており、鵜匠が舟の上から鵜を巧みに操って鮎を獲る様子を表している。

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 川原町のふるいまちなみ。
 江戸時代に長良川の川湊として栄えたところ。
 鵜飼観光船乗り場から西へ延びているエリアを指す。昔ながらの日本家屋が続き、おしゃれなカフェや飲食店、雑貨店があり、「レトロなまちなみ」が続き散策にはうってつけ。 

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 岐阜公園近くの正法寺の大仏(釈迦如来)を見学。日本三大仏といわれている。
 因みに、日本三大仏とは、奈良東大寺と鎌倉の大仏で残る1尊は時代とともに変遷しており、現在は富山の高岡大仏、神戸の兵庫大仏、岐阜大仏など諸説あるようだ。

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