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2023-02-16
令和5年1月からの大河ドラマ「どうする家康」の放映を機に、今回これを企画しました。
ここ大樹寺は松平家、徳川家の菩提寺として名高く、松平4代親忠が創建しました。
家康19才の時、桶狭間の戦いで今川義元が討たれたので身の危険を感じ大高城から、大樹寺に逃れ先祖の墓前で自害すべく覚悟したとき、住職の「厭離穢土 欣求浄土」に諭され、今後この八文字を終生座右の銘としました。
噂のビスタ(眺望)ライン。「百聞は一見に如かず」ちょっと表現が違うかもしれませんが、感動ものでした。大樹寺と岡崎城 強い絆で結ばれているそんな気がします。
左 側:大樹寺山門
真ん中:山門より岡崎城を望む
右 側:大樹寺小学校校庭越しに岡崎城を望む(以前は大樹寺境内)
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大樹寺境内を散策。家康お手植えの椎(しい)の木がありました。
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昼食は、地元名産の八丁味噌を使った「みそにこみ御膳」に舌鼓。
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1560年の「桶狭間の戦い」を機に家康は19才で岡崎城に戻り、浜松に居城を移すまで、10年間ここ岡崎城で過ごす。
戦国大名として名を馳せ、天下統一を果たした江戸幕府の初代将軍が生まれた城です。
公園内には大手門・からくり時計・産湯の井戸・本多平八郎忠勝公像・龍城神社などがあり、ガイドさんの説明に耳を傾けました。
天守から大樹寺方面を望むも、肉眼では残念ながら見ることができませんでしたが、城内備え付けの望遠鏡からは、はっきりとその姿が確認でき、「わ~見えた」と皆が歓声をあげていました。
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明治6年の廃城令により建物はことごとく取り壊されました。
往時をしのばせてくれる土塁や石垣。創建当時に思いを巡らすのも楽しいものです。
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