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2022-06-30
名古屋城本丸御殿:徳川家康の命によって建てられた、尾張徳川家の城・名古屋城。その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成しました。御殿の内部は障壁画や飾金具などで絢爛豪華に飾られ、江戸時代の先端技術を注いだ近世城郭御殿の最高傑作とたたえられるほどでした。
1930年(昭和5)には、城郭では天守閣とともに国宝第一号に指定。建築・絵画・美術工芸史にその名を刻んだ本丸御殿でしたが1945年(昭和20)、空襲により残念ながら焼失し、永らく復元が待ち望まれてきました。幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21)から復元工事を開始。第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。2018年(平成30)には、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、その優美な姿を公開しています。(名古屋城本丸御殿パンフレットより参照)
青松葉事件之遺跡
青松葉事件立て札
1868年(慶応4)、幕府を支持する佐幕(さばく)派弾圧事件が起こり、14名が斬首、20名が処罰されました。「青松葉(あおまつば)」とは、処刑された筆頭格の重臣・渡辺在綱(ありつな)の呼び名に由来します。
清正公石曳きの像
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本丸御殿パンフレット(内部図)
本丸御殿パンフレットから
本丸御殿玄関前
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南側からの天守
本丸御殿から名古屋城
重要文化財旧二ノ丸東二之門
1612年(慶長17)頃に完成。主柱と左右の控柱にも屋根をのせた高麗門(こうらいもん)形式で、門柱や扉などに帯状の鉄が打ち付けられています。かつては二之丸東鉄材そのままに本門跡にありましたが、1972年(昭和47)、当時の部材そのままに本丸東二之門跡に移築されました。
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