高年大学鯱城学園

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史跡散策Historic Site Walk

校内学習 市政出前トーク 志段味古墳群について

2026-02-19

志段味古墳築造の背景 ・大和から遠江までの原東海道(弥生時代には成立していたと考えられる) ・原東海道の派生ルートで庄内川までの河川交通と内津峠経由で東農へ抜け る陸上交通を併用することで、大和と信濃を結び付けた。上志段味はこの ルートにおいて河川交通の終点、陸上交通の始点結節点にあたる。 そのため古墳築造当時は交通の要衝となっていた可能性がある。 ・「日本書記」安寧天皇二(535)五月条によると全国に屯倉(大和王権) の直轄地が設定される。尾張には2か所置かれ、そのうち一つは勝川に 該当すると考えられる。 ・首長墓が味美周辺に築かれ、南東山古墳などと同時期にあたる。 ・志段味古墳群の一時途絶 → 志段味から味美付近へ首長が移動している ・熱田に断夫山古墳などの大規模な古墳が築かれる。 ・大化2(646)年の薄葬令により、古墳の築造が下火になる。 ・6世紀後半から7世紀になると東谷山古墳群が築かれる。この時期だけ で古墳は48基確認されています。 ・古墳を作るのに都合良い立地条件(山を削ることで盛土用の土を確保し やすい、河川付近にある石材も確保しやすかった場所であった。

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