高年大学鯱城学園

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史跡散策Historic Site Walk

第13回校外学習 清須散策

2025-02-20

鎌倉街道と伊勢街道が合流する交通の要であった清須。織田信長ゆかりの地で、信長没後に織田家の重臣たちが後継者を決める「清須会議(1582年)」を開いた地でもあります。清洲城は、織田信雄により現清洲城址に石垣・本丸・瓦葺の天守が建造されましたが、有名な「清須越し(1610年)」により、城・城下町・人の一切合財が名古屋へ遷されました。その後、清洲は美濃路の宿場町として栄えましたが、平成元年(1989年)に現在の場所に「清洲城」として再整備されました。史跡散策クラブは、2月20日に名鉄金山駅13時22分発の急行で13時37分に新清洲駅に着き、ボランティアガイドさんと合流しました。ガイドさんの案内により、五条川に架かる長者橋を渡り、美濃路の清須宿(河邑家:写真1枚目)や、五条橋(名古屋堀川へ移築)の擬宝珠(復元:写真2枚目)の説明を受け、信長が桶狭間に出陣したとされる現存する狭い「信長出陣ルート(写真3枚目)」の位置も教えてもらいながら清洲城へ向かいました。

※クリックすると拡大することができます。

五条川に架かる朱色の大手橋から見る「金色に輝く鯱を屋根にいただく清洲城(写真4枚目)」の前で1枚目の集合写真(写真5枚目)を撮りました。その後、ガイドさんと共に清洲城内の信長舞像・人間50年の掛け軸・金鯱・瓦装飾品・雛飾りなどを観覧しました。最上階の天守からは、清須越しで遷された「名古屋城(写真6枚目)」が遠望できました。

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清洲城を後にして大手橋を渡ったところにある「ふるさとのやかた」で、「御城印(300円:希望者予約)」の受け取りや、みやげ購入・小休止と少しの暖をとりました。その後、清洲公園にある信長像(出陣した桶狭間の方向を見据える)と濃姫像(信長を見つめる)の前で2枚目の集合写真(写真7枚目)を撮りました。清洲公園を南下すると「清洲宿(本陣跡:写真8枚目)」がありました。「将軍上洛・大名参勤・明治天皇一行も小休した、唯一清洲宿本陣(再建)の名残」との立札がありました。さらに南下したところに清凉寺(写真9枚目)がありました。子安観音を本尊とする庶民信仰の寺です。この付近は美濃路清須宿の中心地で、「辻の札」と呼ばれる津島への分岐を示す指差し道標や常夜灯などが残り、山門前には撫で仏で有名な「賓頭盧(びんずる)尊者」もあり、往時の賑わいが偲ばれました。以上、約2時間15分程度の「清須越し(清洲城下町の変化を辿るコース)」をボランティアガイドさんの説明を聞きながら駆け足で辿りました。清洲の今は大分、寂れてはいますが、歴史に残る大きな役割を果たした場所であることがわかり、とても勉強になりました。帰りは、全員無事に、往路と同じ名鉄新清洲駅から名古屋へ向かいました。

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