高年大学鯱城学園

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史跡散策Historic Site Walk

第16回 校外学習 熱田神宮・宮の渡し公園周辺散策

2024-02-29

熱田神宮は三種の神器の一つの草薙剣神を祀ったのが起源で、社が鎮座されたのは2世紀初めとされる。古くから「熱田さん」と呼ばれ、6月5日熱田祭で親しまれている。

境内には本宮、拝殿、神楽殿、別宮の八剣宮、上知我麻神社等があり、歴史的建造物として信長塀等がある。
こころの小路を散策すると清水社や土用殿があり、静けさの中に歴史を感じる。宝物館には刀剣、鏡など6,000余点が公開されている。

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裁断橋址。日本女性三大名文の「裁断橋物語」として世に名高い裁断橋址が、旧東海道宮の宿にある。1590年、豊臣秀吉の小田原北条征伐で裁断橋から出陣を見送った我が子、18才の堀尾金助が陣中で病死。母親は菩提を弔うため橋の架け替えを行った。

江戸時代、旧東海道はお伊勢参りが流行した。江戸から360kmの宮の宿(熱田)は東海道最大規模を誇り、熱田さんの参拝と七里の渡し船を待つ人で大いに賑わった。

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徳川家康幼時幽居跡。
1547年、家康が竹千代と呼ばれた6歳の時、駿河の今川氏へ人質として行く際、家臣の戸田康光の裏切りにより織田信秀に売られ、2年程幽居された。建物は戦災によってすべて焼失。現在は羽城公園に幽居地の看板が設置されている。

宮宿は東海道五十三次41番目の宿場。宮から桑名へ渡る東海道唯一の海路「七里の渡し」の渡船場があり、街道屈指の大宿だった。現在、当時の常夜灯や時の鐘の鐘楼が復元されている。脇街道であった佐屋路や美濃路への分岐点でもあり交通の要所だった。

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誓願寺は1529年創建の尼寺で源頼朝の生誕の地といわれる。頼朝の母は熱田大宮司の娘由良御前で、境内には産湯の井戸が残っている。また鞍馬を逃れた牛若丸(義経)は熱田神宮で元服し、大宮司が名付け親とも伝えられる。
初代日秀妙光尼が竹千代(家康)の教育係をした縁で、葵の御門を門扉に掲げている。

9時30分に地下鉄、熱田神宮伝馬町に集合し、熱田神宮とその周辺を散策した。
参加者は34名、12時30分に誓願時で解散。

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