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2023-12-21
東海道五十三次の47番目の宿場町として栄え、今も当時の雰囲気が残されている。江戸時代後期から明治にかけて建てられた町家が200棟以上も現存し、国の重要伝統的建造物保存地区となっています。
因みにお江戸日本橋から京都間の宿場町の1番目は品川宿、53番目は大津宿です。
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関の山車会館
館内には祭りに曳き出される実際の山車(やま)を見学することができました。
狭い東海道の道筋を山車(やま)が通る様は、「これで限度いっぱい」の意味で使われる「関の山」の語源になったともいわれている。
眺望亭
百六里庭に建つ眺望亭から関宿の町並みを一望。
百六里庭は、江戸から約106里のところにあることからその名が付いた。
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玉屋(関宿旅籠玉屋歴史資料館)
宝珠の玉をかたどった「むしこ窓」に注目。
江戸時代の旅籠建築を修復し、旅籠でつかわれていた道具を展示。
橋爪家住宅(むくり屋根)
寛文年間に両替商を営んでいた豪商。
青く澄み渡った空に描かれたような柔らかで丸みのある曲線の屋根は美しい。
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福蔵寺.(関の小萬の墓)
父の仇討ちを果たした小萬がここに眠る。享年36才。
鈴鹿馬子唄にも唄われている。
西の追分
写真左が大和街道(奈良方面)、右が東海道(京都方面)
この付近に鈴鹿関があったようです。
中央で政変など非常事態が発生したとき、中央の謀反者が東国へ逃走するのを防ぐことと、この機に乗じて東国から畿内への侵入を防ぐのが主な目的。
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