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2022-09-29
天正12年(1584)4月9日、羽柴秀吉と徳川家康が唯一直接対決した合戦「小牧・長久手の戦い」が、この地でありました。本能寺の変で倒れた織田信長の後継者争いに端を発した政争の中で、立場を強めてゆく秀吉、脅威を感じた信長の次男 信雄(のぶかつ)は織田家同盟者の徳川家康に助けを求め、家康もこれに応じたのです。
3月に挙兵した両軍は、しばらく小牧でにらみ合いましたが、先に動いたのは秀吉軍でした。家康の本拠地岡崎を攻めるため、三好秀次を総大将とする別働隊を送りましたが、その動きを察知した家康も軍を動かし追撃したのです。こうして4月9日、長久手で激しい 戦闘がおこりました。
この戦いで、秀吉軍は池田恒興(勝入)、元助(庄九郎)の父子、鬼武蔵と呼ばれた森長可など有力な武将を失い、家康軍は勝利した。
古戦場公園にてボランティアガイドさんから説明を受けた後、史跡巡りに出発しました。
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池田恒興、元助、森長可の戦死地を刻んだ碑を訪れ、しばし故人に想いを馳せました。
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合戦の折、武器を洗ったとされる血の池公園の池は既に埋められており、残念でしたが、最後に、家康が指揮を執ったされる御旗山に登りました。現在は富士社が祭られており、その拝殿前に御旗山と記す石柱がありました。
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