メニュー
2022-06-23
朝日遺跡:1970年に、道路建設にともなう大規模な発掘調査が始まりました。それまでは点在する貝塚や遺物包蔵地と考えられてきた個々の遺跡が、まとまりをもつ一つの集落であることが明らかになり、此の集落跡を「朝日遺跡」と呼ぶように統一されました。
記念撮影
体験水田
復元高床倉庫
※クリックすると拡大することができます。
復元竪穴住居と環濠
貝塚
※クリックすると拡大することができます。
清須城:弘治元年(1555)に織田信長公が那古野城から入城、尾張を統一掌握したころの清須城の基本構造は、守護の館と同じだったと考えられる。永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに勝利した信長公は、ここ清須城から天下統一への第一歩を踏み出しました。
平成元年(1989)、4百年近くの年月を経て歴史ある城「清洲城」として天守閣をはじめ、芸能文化館、清洲城広場など地域のシンボル、平成のお城として甦りました。
清須(洲)城大手門
清州公園・清須古城跡公園
右大臣織田信長公古城跡碑
※クリックすると拡大することができます。