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2026-06-18
6月18日総勢32名の参加者で清洲城の散策に行ってきました。当日は名鉄名古屋駅に集合し、9時05分発の急行(名鉄一宮行き)に乗車。新清洲駅で下車し、心地よい風を感じながら歩くこと約20分で最初の目的地に到着しました。天下取りの原点「織田信長銅像」と出合う(清洲公園)緑豊かな園内で圧倒的な存在感を放っているのが織田信長公の銅像です。これは弱冠27歳の信長公が今川義元を討つべく「桶狭間の戦い」へ出陣する際の若き勇姿を描いたもの。隣には妻・濃姫の像も静かに並んでおり、歴史ファンにはたまらない最初の見どころとなりました。尾張守護の格式を偲ぶ「清洲城守護館」跡(清洲古城跡公園)を更に北へと進み、本来の清洲城本丸跡である「清洲古城跡公園」へ移動します。清洲城はもともと室町時代に尾張守護・斯波(しば)氏の「守護館」の別郭として築かれたのが始まりです。信長公が那古野城からこの地へ移り、尾張統一の拠点を築いた当時の熱気が今も静かな境内に漂っているようでした。
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受け継がれる歴史と天守閣往時の姿を今に伝える「野面積み石垣」。古城跡公園の南側には発掘調査によって確認された貴重な「野面積み(のづらづみ)石垣」が復元されています。自然石をそのまま積み上げる戦国期ならではの荒しくも強固な石垣です。間近でじっくりと観察すると、信長公やその息子・信雄(のぶかつ)が城を拡張していった時代の力強さがひしひしと伝わってきます。
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運命の合議に思いを馳せる「清須会議」の舞台(清洲城天守閣)。五城川に架かる鮮やかな赤い大手橋を渡り、現在のシンボルである「清洲城天守閣」へ向かいます。ここは本能寺の変の後、羽柴秀吉や柴田勝家らが集まり、織田家の跡継ぎや領地配分を話し合った「清洲会議」の舞台。館内の展示室では、ドラマや映画でも有名なこの歴史的会議の様子が分かりやすく紹介されており皆さん熱心に見入っていました。街が丸ごと引っ越した歴史の軌跡「清須越し」を知る最後に登った天守閣の最上階からは現在の清須市街や名古屋方面が一望できます。関ケ原の戦い後、徳川家康の命によって、清洲城の城下町は住民や寺社、更には城の資材にいたるまで丸ごと名古屋へと移転しました(清須越し)。「花の清洲は野となろう」と詠まれたほどの大移動に思いを馳せながら眺める景色は格別の感慨深さがありました。
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