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2025-11-13
11月13日、参加者22名で江南市の「信長・生駒コース」を散策してきました。名鉄名古屋駅に12時55分集合し、名鉄布袋駅には13時31分に到着。ここで今回ご案内いただく、江南市歴史ガイドの会の皆様(約10名)と合流しました。知られざる歴史を感じる江南散策 ― 信長と吉乃の面影を追って、最初に訪れたのは、昨年建立された「信長の家族像」です。信長と、側室となった生駒家の吉乃、そしてその子である信忠・信雄・徳姫(五徳)の5人が仲睦まじく並ぶ像で、諸説を踏まえつつも、この地で家族が穏やかに過ごした往時を想うと感慨深いものがあります。ここで参加者全員の集合写真を撮影しました。続いて、3班に分かれて富士塚へ。小牧・長久手の戦いの際、家康が信雄とともにこの塚に登り、敵状を視察したと伝わる場所です。信雄が生まれ育った地でもあり、ゆかりを感じられる史跡でした。その後、宝頂山墓地を訪れ、吉乃をはじめ、生駒家の隆盛期に活躍した人々の墓所に手を合わせました。
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次に向かった般若寺は、生駒家の菩提寺であった久昌寺の末寺です。久昌寺が現存しない今、生駒家の歴史を伝える貴重なお寺といえます。続いて、生駒屋敷(小折城)跡へ。吉乃の時代には堀を巡らした広大な居城で、近隣の有力者が集う場でもありました。信長もその一人であったのでしょう。現在は保育園の一角に碑と説明板が残るのみです。久昌寺公園では小休止を取りました。2023年に廃寺となった久昌寺の跡地で、吉乃の法名「久庵桂昌大禅定尼」にちなみ寺号が久昌寺と改められたと伝わります。信長は寺に香華料として660石を寄進しています。
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さらに吉乃御殿跡(現・龍神社社務所)へ。ここで信長と逢瀬を重ねた、あるいは木下藤吉郎を信長に引き合わせた、などの逸話が残る場所です。続いて、吉乃を荼毘に付した経塚へ。小牧城で没した吉乃を偲び建立された観音像は小牧山を向き、横には「吉乃桜」と呼ばれる樹齢400年を超える彼岸桜がそびえています。散策の締めくくりは生駒屋敷中門。廃藩置県の際、典医を務めた廣間家に移築され、生駒屋敷に残る唯一の建物です。ここでも集合写真を撮影し、16時過ぎに解散となりました。
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華やかな遺構こそ少ないものの、土地に残る物語や伝承に触れ、豊かな歴史の息づかいを深く感じる散策となりました